「中の人」の語るレファレンス協同データベース または 80対20の法則
先日のARGカフェでは、レファレンス協同データベース の方のライトニングトークを聞く機会がありました。「レファレンス協同データベース 」は情報検索でしばしば目にすることもあり、このトピックは参加前から楽しみにしていたもの。
- 小篠景子さん(国立国会図書館)
- 「「中の人」の語るレファレンス協同データベース」
- レファレンス協同データベース http://crd.ndl.go.jp/jp/public/
小篠さんによると、参加者のわずか4%がコンテンツの半分以上を寄与しているとのこと。
- ARG岡本さんからの情報はこちら>>http://d.hatena.ne.jp/arg/20090302/1235996772
(当日は60%というお話で、案外低い数字だと思ったら、正しくは76%だったとか)
パレートの法則(80対20の法則または20対80の法則)のようなものだと思いますが、これが、図書館どうしの協同データベースでも見られるかと思うと大変興味深かったです。
というのも、ウィキペディアでも同じような話をしばしば聞いたことがあるからです:
- 編集履歴のあるログインユーザのうち、activeなのはごく一握りだとか、
- 管理者のうち、積極的に権限行使するのはごくわずかだとか(数字は時期と権限によって異なりますが)
このアンバランスを覚悟の上で(あるいは、気にせずに)貢献する人たちがいなければ、ウィキペディアや協同データベースのように自発的な貢献によるという、善意にたよったプロジェクトは成り立たないのかもしれません。
でも、それは、かならずしも悲観すべきことではないと思います。
というか「他の人は動かないで成果だけ享受してるのに、なぜ私が頑張らなければならないのか」なんて考えたら、ウィキペディアなんてありえませんよね・・・・
- 「作るのが楽しい人」
- 「それを閲覧する人」
どちらも「利用者」なのがウィキペディアです。
楽しくないのに作る人は、ボランティアベースのプロジェクトではいないはずですから、ウィキペディアにおける貢献者は、原則として「作るのが楽しい人」になるはずです。
- 作るのが楽しい。
- 作ったものを役に立ててもらえるのは、なお楽しい。
- 楽しいから、続けられる。
「閲覧利用者」は、演劇における「観客」のような存在です。
「観客」は、実は、演劇における最重要とも言える要素です。
観客もまた、貴重な貢献者で、その称賛がプロジェクトを支えているのだと、つくづく思います。
だとしたら、こういうプロジェクトにとって必要なのは、「貢献する人の割合」を増やすことではなく、その母数(activeな人+activeでない人)を大きくすることと、称賛が貢献した人に正しく/効果的にフィードバックされることではないかと思います。
レファレンス協同データベース、コメント欄があったらいいのにとは、しばしば思うところ。(と無理やり結論)
(以上、とりとめもない感想でした)
【追記】
- データベースにコメント欄
奇異に聞こえるかもしれませんが、静止した情報と動的な情報、とでも言いましょうか。
たとえば、ここ半年ばかり、山縣有朋関係の資料をあさっているのですが、
- 質 問 山城屋和介(助)と山城屋事件について、区発行予定の『そぞろあるき』の原稿記述にまちがいはないか確認したい。(管理番号 横浜市中央0003)
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000002191
等を見ると、「山城屋事件については****という本に詳しいですよ」というコメントなどをつけられたらいいのに、と思ったりするのです(もちろん、承認制にしてチェックが必要になるでしょうけど、コメントを承認するかどうかは、回答した図書館が判断すればいいと思います)